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こんばんは
悩みや不満が多すぎて   1週間前から 夏休みの終わりに自殺しよう と決心しました。 これまでも試みたことはあるのですがその時は(死にたい) (もうやだ) とか暗い気持ちだったんです。そのせいか戸惑いとかで失敗したのかな?と言った感じでした。  ですが今は なんでしょう。嬉しいというか 楽しみで仕方がない という感じでわくわくが抑えきれないんです笑  
何人のも死を見てきましたが決して嬉しいことではないですし  むしろ悲しくて泣いたくらいです。  

死んでも転生できるとか 生まれ変われるとか **らしいですけど 。 今のボクにはそれが心の支えなんです。
結局何が言いたいかは   自殺するのが楽しみで仕方がないです
相談者:匿名 さん 誰にも言えない悩みの相談 8/21

回答 2

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匿名さ〜ん

ご相談読みましたよ。
びっくりびっくり!
まぁびっくり。

ご年齢はわかりませんが、夏休みが終わったらという書き出しと、ボクという表現なので、おそらくなんらかの学生さんだろうなと思います。

死ぬのが楽しみですって?
しかも、→(笑)付きで?

まぁびっくり。
びっくりびっくり、まぁびっくり。


私のこれまでの職業的経験から、死ぬのが楽しみというのは、
余命幾ばくかの診断がついた病床の状態の人、或いは老衰で、ここ数日のうちに命がなくなるであろうという医師の診断のある人、今まさに生命の燈が消え入ろうとするときに発する人の言葉だったなぁという体験があったからです。
それについては正しいと思っています。

匿名さんの中にどんな死にたい内容があったかはさっぱりわかりませんし、私はあなたを知りませんが、そういう知らない人でも、「死にたい」「死ぬのが楽しみ」「夏休みの終わりに死にたい」という人の言葉を、たとえ文字だけ読んだとしても、それはわたしにとってはとても悲しい。
まだ生きられる人が自分の命を楽しみながら落としたいという人がいることは、わたしはとても悲しい。
そしてそれがとうてい正しいとは思えないんですよね。


いいですか?
死にたいという気持ちを→(笑)という表現で表す人の心理というのは、その奥に必ず「生きたい!」という気持ちがあるのですよ。
これは誰にでもある人としての普遍的なものです。
これは事実です。
回答者:こころとからだ・回復のサポート♪ さん 8/21
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はじめまして 臨床心理シランの室です。
「悩みや不満が多すぎて、自殺しようと考えている。支えや根拠は輪廻、転生」
今世(今の生活)がうまくいかないので、来世に期待したい。輪廻転生し、今よりもっと素晴らしい自分に生まれ変わりたいという考えのように思えます。

ゲームであれば、うまくいかなければリセットし、またやり直せばよいでしょう。しかし、現実の生命はゲームと違い、輪廻も転生も不確かです。仮説に過ぎません。

もともと輪廻転生を説いているのは宗教です。なかんずく仏教のカルマの法則、そして永遠の生命という思想が輪廻転生という考え方につながっているようです。一度、真剣に学ばれるとよいと思います。迷信を信じる前に…。

転生や輪廻という教えは、個の生命の連続性が大前提になっています。カルマ、つまり業という考えです。業というのは行為です。今世で行った個人の行為の集積が来世につながるという考えです。

わかり易く言えば、前の日(前世)に苦しんで、1億円の借金をもって眠った(死)とします。眠っている間は借金のことは忘れていますが、眠りから覚めれば(転生・新たな生)、一億円の借金はそのまま残っています。

つまり個人の業は連続しています。リセットはないのです。自分の行為の責任は自分が担う。それが業思想であり、輪廻転生の基本になっています。このことを生命物理学者は生命保存の法則からこの連続性を問いています。
苦しんで死ねば、苦しんだ姿で生まれると言われています。楽しく今世を終えて死ねば、次はまた楽しみの姿で生まれると言うのです。動物的な生き方をすれば、動物に転生するかもしれないのです。怖いことです。これが、輪廻転生の正しい仏教の因果のカルマの教えなのです。

臨死体験1000名の方のデーターを基に死の世界を探究されたアメリカの医学者にキューブラー・ロスという有名な方がいます。名著「死ぬ瞬間」「続死ぬ瞬間」という本を著しています。そこには、人間の死ぬ過程が描かれています。一度読まれるとよいと思います。彼女は、仏教の業思想(カルマの法則)を信じると言われています。業には割引はありません。どこまでも自業自得であり、自分で責任をとるという考えなのです。

 仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、心に煩悶を抱き、人生に悩んでいたと言われています。

人生は生老病死(生きる・老いる・病になる・死ぬ)という四つの苦しみから逃げることはできない。その四苦に代表される人間の苦しみの解決のために、釈迦は出家し求道の旅に出たのでした。

人生の意味を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、宇宙の実相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常ですが、その背後に常住不変の生命を悟ったといわれています。それが法華経に説かれ、奈良時代、平安時代に貴族の間に親しまれ、紫式部の「源氏物語」などにも登場しています。

釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する可能性の生命…創造的で幸福になっていける生命と知恵が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生、連帯の生命観と言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという生命観です。

一日の人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。この世界で、人間だけが、自らの可能性を信じて自らを変えていける「聖道正器」の存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。

その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命も、自らの生命に具わる可能性を信じていけば、転換できるとも説かれています。

自らに内在する尊極の生命を信じられるかどうか。釈迦は信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の可能性を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。

かけがえのない生命です。大事にされてください。一たび人間の生命を失えば、無量の多生の間、人間に生まれることはできないと仏教には説かれているほどですから…。
 
回答者:臨床心理シランの室 さん 8/21
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